「普通になれない」と気づいた日から、少し楽になった話

はじめに

中学生の頃、

自分は「変だ」と思っていた。

特別な才能があるとか、

突拍子もない行動をするとか、

そういう分かりやすい“変”じゃない。

ただ、周りと同じように考えているつもりでも、

同じ反応をしているつもりでも、

どこかズレている感覚があった。

そしてそれは、

自分だけが気づいているものじゃなかった。

「普通」になろうとした時期

当時は、

とにかく普通になりたかった。

  • 空気を読む
  • 余計なことを言わない
  • 目立たない
  • 波風を立てない

今思えば、

かなり必死だったと思う。

自分の中の違和感や癖を全部押し殺して、

「普通のフリ」をしていた。

それでうまくいっているつもりだった。

少なくとも、自分ではそう思っていた。

それでも言われた一言

あるとき、友人に言われた。

変だね

悪意があったわけじゃない。

からかいでも、攻撃でもない。

ただ、事実として出た一言だった。

その瞬間、頭の中で何かが切り替わった。

「あ、無理なんだな」

「どんなに頑張っても、普通にはなれないんだな」

変に落ち込んだり、怒ったりはしなかった。

むしろ、妙に納得した。

舵を切り直した瞬間

普通になれないなら、どうするか。

そこで出た結論がこれだった。

「変なやつだけど、面白いやつでいよう」

ただし、条件付きで。

  • 人に迷惑はかけない
  • 常識のラインは越えない
  • でも、自分の“変”は殺さない

全部出すんじゃなくて、

制御して、調整して、使う。

「普通を目指す」のをやめて、

「自分なりに社会に収まる」方向に舵を切った。

楽になった理由

この切り替えで、一気に人生が好転した

……なんてことはない。

でも、確実に一つ変わったことがある。

無理をする方向がズレなくなった。

  • 普通になるために無理をする
    → 終わりがない
  • 自分の変をコントロールするために無理をする
    → ラインが明確

どこまでがOKで、

どこからがアウトかを

自分で決められるようになった。

それだけで、かなり楽だった。

今振り返って思うこと

今でも、自分は変だと思う。

多分、これからも変わらない。

でも、

  • 変であること
  • 社会で生きること

この二つは、

どちらかを捨てなきゃいけないものじゃなかった。

全部合わせる必要もないし、

全部出す必要もない。

折り合いをつける、という選択肢があった。

おわりに

「普通になれない」と気づいた日は、

ある意味で諦めの日だった。

でも同時に、

自分の扱い方を理解し始めた日でもあった。

もし今、

  • 周りに合わせようとして疲れている人
  • 自分はどこかおかしいんじゃないかと悩んでいる人
  • 普通を目指すのがしんどくなっている人

がいるなら、伝えたい。

無理に普通にならなくても、

生き残る方法はある。

少なくとも、自分はそれで

前より息がしやすくなった。

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