教師というシステムの根本的な問題

――なぜ負の連鎖は終わらないのか

前提として書いておく。

私は教師が嫌いだ。

だからこの記事には、少し棘がある。

ただし、これは感情論ではない。

教師というシステムそのものが抱える、構造的な問題についての話だ。

「学校が楽しかった人」が教師になる問題

教師になる人の多くは、

学校という環境で成功体験を持った人間だ。

授業が理解できた。

成績が良かった。

先生に評価された。

学校が楽しかった。

だからこそ、

「学校は良い場所だった」

「勉強は正しいものだった」

という前提を疑わずに大人になる。

そして、そのまま教師になる。

ここで何が起きるか。

学校でつまずいた側の感覚が、根本的に分からない。

分からない理由が分からない。

苦手な感覚が想像できない。

できないことを「甘え」だと判断してしまう。

この時点で、負の連鎖は始まっている。

体育の授業が一番わかりやすい例

この構造が最も分かりやすく表れるのが、体育の授業だ。

体育教師は、ほぼ例外なく運動ができる人間だ。

体を動かすことが苦ではなく、むしろ楽しかった側の人間。

だから、こうなる。

• 「なんでこんな簡単なことができないの?」

• 「見てれば分かるでしょ」

• 「とりあえずやれ」

できる人が、できない人に、

自分の感覚をそのまま押し付ける。

そこに言語化はない。

段階的な説明もない。

怖さや恥ずかしさへの配慮もない。

これは教育ではない。

成功体験の押し付けだ。

生理を「甘え」と切り捨てる体育教師たち

そして、この問題が最も残酷な形で現れるのが、

生理を理由に体育を欠席・配慮を求めた生徒への対応だ。

SNS、特にTwitter(X)では、

• 生理で体育を欠席しようとしたら「甘えだ」と言われた

• 女性の体育教師に相談したのに

「生理でそんなになるわけない」とキレられた

• 男性教師から

「生理なんて気の持ちようだ」

「運動すれば治る」

と言われた

といった話が、何度もバズっている。

これは偶然ではない。

構造的に起きている問題だ。

特に残酷なのは、

「同じ女性だから理解してくれるはず」

と思って相談した相手に、真っ先に切り捨てられるケースだ。

経験してきたはずの人間ですら、

「自分は耐えられた」

「自分は大丈夫だった」

という基準で他人を裁く。

できた側の感覚で、

できない側を否定する。

これほど分かりやすい失敗例はない。

生物学的な現象を「甘え」と呼ぶ異常さ

男性教師が

「生理は甘え」

と言うのも論外だが、

女性教師がそれを言うのも、同じくらい異常だ。

生理は、

生物学的に避けられない現象だ。

それを

「気合でどうにかしろ」

「我慢しろ」

と言うのは、

人間の構造そのものを無視している。

私は男だから、生理の辛さは分からない。

ただ、それでも分かることがある。

生理現象は、意志では制御できない。

例えば、

「トイレを我慢しろ」と言われたら、

1時間や2時間は耐えられるかもしれない。

だが、それ以上になれば、

必ず限界が来る。

それは甘えではない。

生理現象だからだ。

もちろん、

生理とトイレの我慢を同列に扱うのは、

辛さの質も違うし、失礼かもしれない。

ただ、

人間の構造上必要で、意志で制御できない

という点では、同じだ。

例えとして使うことは、

許してほしい。

「俺は動けた理論」は全部同じ

この話は、生理に限らない。

• 「寝不足でも俺は動けた」

• 「熱が39度あっても俺は仕事した」

• 「だからお前も動けるはずだ」

これも全て、同じ構造だ。

自分の経験を基準にして、

他人の限界を否定する。

相手の立場に立って考えることが、できていない。

美術・音楽・芸術系はもっと残酷

この構造は、

美術や音楽といった芸術系の授業でも顕著だ。

描ける人が教える。

歌える人が教える。

弾ける人が教える。

だが、

できない理由は説明されない。

• 「感覚で」

• 「ノリで」

• 「そのうち分かる」

分かるわけがない。

評価はされる。

点数もつく。

できないことが、才能不足として可視化される。

これは教育ではない。

選別だ。

名選手は名監督にならない

よく言われる言葉がある。

名選手は名監督にならない。

これは本当にその通りで、

できる人ほど、できない人の気持ちが分からない。

にもかかわらず、

学校では「できる人」が「教える側」に回る。

この時点で、

システムとして破綻している。

教師というシステムは、成功者バイアスの塊だ

結局のところ、

教師というシステムは、

• 学校で成功した人間が

• 学校の正しさを疑わず

• 学校を再生産する

成功者バイアスの塊だ。

だから、

• 学校が合わなかった人

• 授業についていけなかった人

• 評価されなかった人

の視点は、最初から想定されていない。

だから、負の連鎖は終わらない

学校が楽しかった人が教師になり、

その価値観を次の世代に押し付ける。

学校が合わなかった子どもは、

「自分が悪い」と思わされる。

そしてまた、

学校が楽しかった人だけが教師になる。

この循環が続く限り、

教育は変わらない。

最後に

教師とは、

根本的に相手の立場に立って物事を考えられない人間が生まれやすい職業だ。

個人の性格の問題ではない。

構造がそうさせている。

私は教師が嫌いだ。

そしてその理由は、

このシステムそのものにある。

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