もし、この言語が簡略化されていったら
──思考実験の現実的な行き着く先
はじめに
本編では、
戦前に実在した表記規則
「日本語はカタカナ、外来語はひらがなで書く」
が、あえて簡略化されないまま現代まで継続した、
というやや不自然な前提を固定して思考実験を行ってきた。
本稿では、その前提を一度解除する。
もしこの言語運用が、
実際の使用の中で簡略化されていったとしたら、
最終的にどこへ行き着くのか。
これは本編の否定ではなく、
別条件を置いた番外編の思考実験である。
1. 最初に簡略化される領域
言語が簡略化されるとき、
それは一様に起こるわけではない。
真っ先に簡略化されるのは、
次のような領域だろう。
- 日常会話
- 私的な文章
- SNSの短文
- 即時性が重視されるコミュニケーション
これらの場では、
- 表記レイヤーの自覚
- 漢字と音声表記の厳密な使い分け
は、認知コストが高すぎる。
結果として、
ひらがな中心の
音声ベースの簡略表記
が主流になると考えられる。
なお、ここでいう
「ひらがな中心の音声ベースの簡易表記」は、
外来語だけに限定されるものではない。
簡略化は外来語から始まる可能性が高いが、
最終的には文章全体に波及し、
日常領域では
「読めれば十分」という原理が
表記選択を支配するようになる。
2. それでも簡略化されにくい領域
一方で、
簡略化が進みにくい領域も明確に存在する。
- 法律文書
- 行政文書
- 契約書・規約
- 学術論文
- 定義文・仕様書
これらの文章では、
- 責任の所在
- 意味の一貫性
- 読み手の誤解防止
が強く求められる。
そのため、表記の使い分けは、
面倒な規則
ではなく
安全装置
として残り続ける可能性が高い。
3. 行き着く先の言語構造
最終的に、この言語は次のような形に収束する。
- 日常領域:
読みやすさと速度を優先した簡略言語 - 公的・専門領域:
表記が厳密に管理された記述言語
つまり、
用途によって完全に分離した
二重構造の言語
である。
これは、
- 俗ラテン語とラテン語
- 公用語と専門用語
に近い構造と言える。
4. 本編との関係
興味深いのは、
本編で描いてきた
「簡略化が起きない世界」
が、
現実的には
専門領域にだけ隔離された形で残る
という点である。
つまり本編は、
- 現実では見えにくい構造を
- 極端化して可視化した思考実験
だったとも解釈できる。
5. 簡略化は「劣化」ではない
ここで重要なのは、
簡略化を
- 思考力の低下
- 文化の後退
と捉える必要はない、という点である。
簡略化とは、
認知コストを
どこで誰が負担するかの再配分
に過ぎない。
日常では読みやすさを優先し、
正確さや責任が必要な場面では、
専門家が高コストな言語を引き受ける。
6. 結論
もしこの言語が簡略化されていったとしても、
行き着く先は
誰もが話せ、読める社会
ただし、正確に書くことは専門技能である社会
である。
それは本編で描いた世界を、
完全に否定するものではない。
むしろ、
本編で描いた極端な世界が、
現実では部分的に実現する
その姿を示している。
簡略化された後に残るものこそ、
この言語が本当に担っていた役割なのかもしれない。

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