病気とは向き合っていると思う。
通院もしているし、治療の話も聞いている。
自分の状態も、ある程度は理解している。
それでも――
病気が前提になった将来設計だけは、ずっと避けている。
たぶん、これは逃げだ。
なぜ「将来設計」を避けてしまうのか
病気が前提になる将来を考えると、
選択肢が一気に狭まる感覚がある。
- できないことが先に見える
- 人生に天井ができた気がする
- 「もし良くなったら」という希望を、自分で潰すような気がする
だから脳がブレーキをかける。
「今は考えなくていい」
「決めるには早い」
「考えたら負けな気がする」
その場しのぎだと分かっていても、
考えない方が楽だから、先送りにする。
でも、本当に苦しいのは別のところだった
避け続けていると、
「何も決めていない自分」がずっと残る。
- 進めていない感覚
- ちゃんと生きていない気分
- 現実から逃げているという自己嫌悪
実は一番しんどいのは、
病気そのものより、避けている自分を責め続けることだった。
向き合う=覚悟を決める、ではない
「向き合う」と聞くと、
- 病気を受け入れきる
- 人生を再設計する
- もう戻れない決断をする
そんなイメージを持ってしまう。
でも本当は、
向き合うってそこまで重い行為じゃない。
「今はここまでしか見られない」と認めること
全部を直視しないといけないわけじゃない。
見られる範囲だけ見て、残りは保留でもいい。
それは逃げじゃなくて、
自分を壊さないための調整だと思う。
将来設計は「決定」じゃなくて「仮置き」でいい
将来設計と聞くと、
10年後、20年後まで決めなきゃいけない気がする。
でも今できるのは、これくらいでいい。
- 病気が前提でも壊れにくい選択肢を1つ置く
- フルコミットしない
- いつでも変えていい前提で考える
これは諦めじゃない。
戦い方を変えているだけだ。
病気前提の将来を考えることは、希望を捨てることじゃない
病気が前提の将来を考えるのは、
希望を捨てる行為ではない。
希望がなくても折れない地面を作る行為だ。
もし良くなったら、
その地面の上でいくらでも走ればいい。
でも、地面がないと
希望が戻ってきた時に立つ場所がない。
いまの結論
正直に言うと、
まだ将来設計はできていない。
でも、
「病気が前提になった将来設計を避けている」
ここまで言葉にできたのは事実だ。
それだけで、
完全に逃げているわけじゃないと思っている。
今日はまだ設計しない。
でも、避けていることは自覚している。
それでいい。
いつか考えられる日が来たとき、
この文章が「ここからだった」と思えれば十分だ。

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