第1章:表記規則は「正しさ」ではなく「判断」を要求する

表記規則は「正しさ」ではなく「判断」を要求する

──戦前規則を現代で使うと、何が起きるのか

本連載の出発点は、

戦前に実在した

「日本語はカタカナ、外来語はひらがなで書く」

という表記規則である。

この規則をめぐる議論の中で、

あるすれ違いが生じた。

相手は、

「当時はこう書かれていた」という

史実としての正確さを提示していた。

一方で自分は、

それをそのまま再現したいのではなく、

もしこの規則を現代に持ってきて使うなら、

どう運用した方が分かりやすいか

という、再設計の話をしていた。

ここで噛み合わなかったのは、

正しさではなく、

前提と時間軸だった。

宝石名のやり取りから見えたもの

このズレが最もはっきり表れたのが、

宝石名をめぐるやり取りだった。

戦前規則を素直に適用すると、

次のような文章が成立する。

だいやもんどハ非常ニ硬ヒダケデナク、

トテモ高価ナ宝石デアル。

これに対して自分は、

外来語を複数使った方が体感的に分かりやすいのではないかと考え、

だいやもんどハ非常ニ硬ヒダケデナク、

えめらるどヤさふぁいあ等ト比ベテモ、

トテモ高価ナ宝石デアル。

という例を挙げた。

すると相手から、

次のような指摘が返ってきた。

宝石を三つも並べるなら、

日本語(漢字)にしたのではないか。

金剛石・翠玉・紅玉

と書いたと思うが、どうか。

このやり取りによって、

重要な構造が浮かび上がった。

単体表現と、概念列挙は別物である

ここで問題になるのは、

どの表記が正しいかではない。

  • 単体として語る場合
  • 複数を並べて比較・整理する場合

で、最適な表記が変わるという点である。

単体の宝石を指すなら、

  • だいやもんど
  • えめらるど
  • さふぁいあ

といった音声表記は、直感的で読みやすい。

一方、

複数を概念として並べる場合は、

金剛石・翠玉・紅玉

の方が、日本語として整理され、

分類対象として把握しやすい。

つまりこの言語運用では、

  • 音声表記(ひらがな):
    個別・感覚・具体
  • 漢字表記:
    分類・比較・概念

という 二種類の表現が併存することになる。

読みやすさを意識した振り分け

この視点で文章を見直すと、

すべてをひらがなで書いた次の文は、

だいやもんどハ非常ニ硬ヒダケデナク、

えめらるどヤさふぁいあ等ト比ベテモ、

トテモ高価ナ宝石デアル。

規則上は成立しているが、

実際にはやや読みにくい。

そこで、

  • 主語は音声表記
  • 比較対象は漢字表記

という振り分けを行うと、次の形になる。

だいやもんどハ非常ニ硬ヒダケデナク、

翠玉・紅玉等ト比ベテモ、

トテモ高価ナ宝石デアル。

この形であれば、

  • 主語は感覚的に入りやすく
  • 比較対象は概念として整理される

読みやすさと意味の構造が両立する。

表記規則が要求するもの

この例が示しているのは、

この表記規則が

正解の書き方を与える規則

ではなく

書き手に判断を要求する規則

だという点である。

書き手は常に、

  • 今は単体の話か
  • 比較の話か
  • 感覚を伝えたいのか
  • 概念を整理したいのか

を自覚し、その都度、

  • 音声表記を使うか
  • 漢字表記を使うか

を選び取らなければならない。

この時点で「書く」という行為は、

単なる表記作業ではなく、

思考のレイヤーを指定する行為になる。

そしてこの負荷が、

後に述べる

「記述能力の専門化」や

「民主化された読解/寡占された記述」

といった社会構造へとつながっていく。

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