2025年1月8日から2月7日まで、31日間の2回目の入院生活。
1回目の入院に比べると、今回は症状が落ち着いていて、体力的にはそこまで大変ではなかった。
ただ、転院が決まってからは精神的にかなり厳しく、人生で初めて「心が折れる」という経験をした。
心が折れて写真を消したり、写真を撮る余裕がなかったので今回記事は写真無し。
1月8日(入院初日)— 涙のスタート
朝、母と一緒に病院へ向かう。
2回目の入院ということもあり、ある程度気持ちの整理はついていたつもりだった。
しかし、部屋が決まり、荷物を運び終え、最後に母と入口で別れるとき、母の目が潤んでいるのが見えた。
自分の目も潤んでいたが、振り返って顔が見えなくなった途端に涙がこぼれ落ちてきた。
「治療方針も決まっているし、良くなることもわかっているのに、なぜこんなに涙が出るのか?」と自分でも驚いた。
今思えば、この時点でかなり精神的に疲れていたのかもしれない。
1月8日〜1月10日(ステロイドパルス療法)— ひたすら経過観察の3日間
入院初日から、前回と同じステロイドパルス療法(1000mgの点滴を3日間)が始まった。
前回と同様、今回も効果はすぐに表れ、水疱の発生速度はみるみる落ち着いていった。
症状が改善していくのを実感できたため、精神的にも比較的安定していた。
ただ、ステロイドの副作用で夜はうまく眠れず、睡眠薬が必要だった。
1月11日〜1月20日(ステロイド30mg+イムラン)— 思ったより効果が出ない
点滴による治療が終わり、ステロイドは30mgまで一気に減量。
今回は新しく免疫抑制剤「イムラン」が追加された。
この薬は遺伝子的に副作用が出る可能性があるとのことで、事前に検査を実施。
結果、自分の遺伝子とはあまり相性が良くないことが判明した為、少量から試してみることになった。
しかし、新規の水疱は毎日出続けていた。
「もしかすると、ステロイド30mgでは抑えきれていないのでは?」と不安になり始める。
1月20日〜1月23日(ステロイド30mg+イムラン追加)— それでも改善せず
「イムランの量を増やせば効果が出るかもしれない」ということで、薬の量を調整。
しかし、朝起きるとまた、新しい水疱ができている状態は変わらなかった。
「このままでは退院の目処が立たない」と思い始める。
1月23日頃〜(転院確定)— 次の治療へ進むことに
ステロイド30mg+イムランでは症状を抑えきれず、次の治療ステップとして「血漿交換」を行うことが決まった。
ただし、この治療は今の病院では実施できないため、順天堂大学病院へ転院することに。
1月23日頃〜2月6日(転院待機)— 精神的に削られる毎日
ここで、完全に勘違いしていた。
「1週間以内には転院できるだろう」と思っていたのだが、時期が悪くインフルエンザが流行していたため、なかなかベッドが空かない。
その間の生活は、
• 症状は続いている
• 昼の治ってる時に調子に乗って動くと夜がひどくなる
• 動くと体が異様にだるい
• 基本的にベッドで過ごすしかない
ただひたすら寝ているだけの毎日で、この時に体力もかなり落ちた。
夜は不眠と皮膚のチクチク感でまともに眠れず、どんどん記憶も曖昧になっていった。
1月29日〜(ステロイド50mgへ増量)— 副作用が強すぎる
転院の目処が立たないため、病院側と相談し、ステロイドを50mgに増量。
すると、新規の水疱は少しずつ減っていった。
朝起きたときに5〜6個できていたものが、1〜2個程度に減少。
ただ、副作用がかなり強かった。
• 不眠の悪化(睡眠薬が無いと眠れない)
• 手足の震え(ベットが揺れるほどの)
• メンタルの不安定化(気分の浮き沈みが激しい)
• 異常な食欲(サラダチキンとキャベツでなんとか抑えた)
ステロイドによる副作用の精神的な不安定さが想像以上に強く、40mgに減った今、「ステロイド50mgの状態で普通に生活するのは絶対に無理」と今になって感じている。
2月4日(精神的な限界)— 初めて「心が折れる」経験をする
夜の検診の際、担当の看護師さんが「大丈夫?」と声をかけてくれた。
その瞬間——
突然、涙が止まらなくなった。
声を上げて泣いてしまい、病室にいられずデイルームへ移動。
看護師さんが付き添ってくれ、30分ほどひたすら泣いた。
「病気だから仕方ない」
「先生も頑張ってくれているのに申し訳ない」
「これで次の患者のためのデータが取れれば…」
「人の痛みがわかる人間になれた‥」
そんなことを考えながら耐えてきたが、この日はどうにもならなかった。
これが、人生で初めての「心が折れる」経験だった。
2月6日(転院決定)— 突然の知らせ
朝、突然「明日、転院」との連絡が入る。
あまりにも急な話で、頭が追いつかなかった。
前日、5日の夜の回診で先生の前で涙を流してしまったこともあり、もしかすると先生が無理をして調整してくれたのかもしれない。
そう考えると、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになった。
親に連絡し、翌朝9時に迎えに来てもらうことに。
転院が決まった安心感からか、涙は止まり、精神的にも少し落ち着いた。
まとめ
この1ヶ月間で、人生で初めて「心が折れる」という経験をした。
正直、記憶が曖昧な部分も多いが、先生も看護師さんも本当に素晴らしい方々で、この病院で入院できてよかったと心から思う。
次回は「転院 & 血漿交換編」(2月7日〜2月16日)!
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